溶ける
梅雨明けを告げる天気予報に、
ただひたすらに暑い日々の始まりを思う。
見上げればぐらぐらと空気が揺らいでいる。
こんな日は、ほんとうに溶けてなくなってもいい。
あなたに紡ぐ言葉たちは見つからないし、
記憶を辿る作業ばかりしていることに気付く。
こんな日は、ほんとうに溶けてなくなってもいい。
梅雨明けを告げる天気予報に、
ただひたすらに暑い日々の始まりを思う。
見上げればぐらぐらと空気が揺らいでいる。
こんな日は、ほんとうに溶けてなくなってもいい。
あなたに紡ぐ言葉たちは見つからないし、
記憶を辿る作業ばかりしていることに気付く。
こんな日は、ほんとうに溶けてなくなってもいい。
「デジタルカメラが欲しい」と漠然と、
でもずっと、そう思っていた。
ブログを始めて、少しだけ画像をアップしたものの、
携帯電話のカメラ機能を使っての画像は、
あまり満足のいくものではなく・・・。
最近の携帯電話のカメラ機能は、
デジタルカメラ顔負けの画素数を誇り、
素晴らしく綺麗に撮影が出来るとはいえ、
私の持っているそれは2年ほど前の機種。
せっかくのブログ、
文章だけでなく、写真でも表現をしたいと思う。
何度か電気店に通っては、デジタルカメラを
ぼんやりと眺めて、いいなぁと思って帰る日々。
いいなぁと思いながらも、未だ手にしていない。
写真フィルムを、最近見かけなくなってきているのは、
なんだかしんみりとする。哀しい、とは違う感情。
撮影をした後に、現像・定着・焼き付けの工程を経て、
始めて目にすることができる、わくわくとした気持ち。
どういう風に映っているのか、撮影した瞬間にはわからない。
だから留めておきたい風景や、大切な人たちを、
数回撮影してみたりする。
「目を瞑ってしまったかもしれないから、もう一回」
と、はしゃぎながら。
デジタルカメラは、撮影後に液晶ですぐに確認が出来る。
気に入らない、必要ない、と思えば簡単に指一本で、
リセット出来てしまう。
デジタルだから当り前のことで、便利なことではあるけれど、
どうかな、どうかなって仕上がりがわかるまでの、どきどき
わくわくする気持ちが失われていくことがせつない。
欲しいなぁ、と思いながら電気店に行くというのに、
踏みとどまっているうらはらさ。
カメラを片手に子供たちと公園に出掛ける。
走り回る子供らを、ファインダー越しに見入る。
いい表情・・・と、同時に「カシャリ」
音に気がついて「見せてー」と駆け寄る子供たち。
カメラをくるくると回転させ、首を傾げながら
「うつってなーい」と言って再び散らばっていく。
そうか、今の子供たちのカメラと言えば、デジタルカメラ。
液晶画面がないから不思議なのね、納得。
そう思いながら、ビデオテープのことを思い出した。
「人生もビデオテープのように、
巻き戻したり、一時停止が出来たらいいのに」と
幾度となく思っていた頃があった。
タイムマシーンで過去に行って人生をやり直したい、
というわけではなく、あくまでもビデオテープの巻き戻し。
テープが擦り切れるほどに、何度も何度も同じ場面を
繰り返したいと思っていた。
時には、瞬間を切り取って一時停止したいと願っていた。
なによりも、この先何十年も過ごしていくうちに、
記憶がどんどん薄れていくことが厭だと思っていた頃。
誰かのため、何かのためという発想がないと、
色々なことが出来なくなる、と思うのですが、
みなさんはどうなのでしょうか。
それは打算的すぎるのでしょうか。
生きるために食べる、生活をするために働く。
シンプルに表現するとそういうこと。
健康のために食べる、世の中のために働く。
理由付けは個々で違うにしても、何かのために、
だからこうする、ということは溢れている。
良し悪しではなく、そうだからこそ人は独りでは
生きていくのが困難なのかな。
大地にしっかりと、自身の両足をつけて立つことは、
自分のためでもあるけれど、あなたのためでもある。
そうして塞いだときには、あなたのため、私のため、
乗り越えることが出来る。
たぶん、これからも。
明け方の紫色の空を眺めたときも、
旅行先で冬の澄んだ海の深いブルーを見たときも、
お取り寄せしたぽん酢で湯どうふを食べたときも、
帰宅時の電車内から、一瞬東京タワーが見えたときも、
いつも思い出す人がいる。
あぁ、大変。また考えているって気がつく。
綺麗なもの、美味しいもの、それらが感情に触れたとき、
あなたにも見せたいし、食べさせたいと思うから。
それはずっと、あなたに喜んで欲しいから、とだけ
思い込んでいたけれど、たぶん隣であなたの笑顔を
見ていたいっていうエゴなのかもしれない。
息を飲むほどに綺麗なものも、
とろけるほどに美味しいものも、
無邪気に笑う子どもたちに、敵うものはないわって、
分かっていても。
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